これは立派な花粉症。去年も一昨年もその気はあったけど、ここまでひどくはありませんでした。
朝、店に来てまずはティッシュで洟をかむ、その数秒後にまた洟をかむ、ストーブの前に座り込み薪に火をつける、ずっとずっとストーブの火を見てる、また洟をかみティッシュをストーブの中に入れ燃やす。
その繰り返し。おそらく私は朝の1時間くらいは何もせず、火の番と洟をかむだけの毎日でした。
そのうちにお客さんが来てくれると、はじかれたように私は動き出し、冷蔵庫を開け閉めし、ばたばたと食材を扱いだし、お客さんとしゃべりだし本来の調子を取り戻すのだけど、半分冬眠しているようなだらけた生活ぶりでした。
光が明るくなり、進路に希望が見えてくるこの季節が昔から大好きだったけど、この頃はちょっと様子が変わってきた。くしゃみばかりしてる。
さて、薪ストーブの掃除をしっかりしていなかったし、やたら何でもかんでも燃やしていたので、煙突が詰まって、焚き始めるとモウモウとした煙、部屋中かすんでしまい、煙くて煙くてすごいことになっていました。出入口を開けないと煙が消えず、燻製室状態。
お店に入ってきた人が、どうした、これは?とびっくりしていました。いつも何ともないストーブのハンドルのつなぎ目からも煙が出るようになり、ちょっと危険を感じ始めました。
日曜の昼にあわてて岡村さんにSOSの電話をしました。
岡村さん、今日すっ飛んできてくれました。
煙突の中に石炭のかけらのような煤がいっぱい詰まり、つついても崩れない、カチカチに固まっていると。岡村さん苦労して崩して押し出してくれました。ビニール袋に2杯、これは煙の行き場を無くし、逆流して部屋中モヤモヤになるはずです。煤で手も顔も黒くして大奮闘、おかげさまで今度から気持ちよく、部屋中、灰が舞い散らない清潔な環境で過ごせます。
ありがとうございました。レスキューの岡村さんに感謝です。
春ちゃんが書いてくれたチャリティーフリーマーケットのポスター。今どき珍しい手描きです。量産できないので、何とか印刷してあちこちに貼ろうと思いましたが、印刷すると、全然違って味気ないものになってしまうので、春ちゃんに頼んで6枚!も書いてもらいました。
春ちゃん、息子さんに『昭和のポスターだが!?』と言われて笑っていました。
昭和のポスター、価値があります。東栄診療所、コンビニ、スーパー、東栄駅前などに貼りました。
今ぞくぞくと、品物が集まってきています。今日も近所のご夫婦が、古着、新品のスカーフ、洗剤などを持ってきてくれました。
私も少しづつ整理し、値付けをし、写真に撮ってフェイスブックに流そうと思っていましたが、連日のくしゃみとストーブの煙突詰まり騒動でこの1週間は空振り状態でした。(明日からまた頑張ります)
布がとにかく半端なくあります。かなり大きいのも何でも100円で売ってしまおうと思います。
家に帰れば、姉のところから運び出した布(着物を壊したもの、帯をほどしたものが多い)そのほかにもニットソーイングにはまっていた時の洋服地が2缶あり、これらをどうしようかと思います。
フリーマーケットより手芸好きな人のための「端切れ市」をやったほうがいいのかもしれません。
私も布が捨てれないので、大変な労力を費やして、名古屋から東栄町まで運んできたけれど、これらを使い果たすほど人生が残っていないので、欲しい人、有効に使ってくれる人にもらってほしいなと思います。いや、わずかなお金をもらって、能登へ送る義援金の一部にしたいと思います。
今週のお客様。
きれいなファッショナブルなフランスのお姉さん。少しの日本語と英語、フランス語で語ってくれるのですが、私はちんぷんかんぷん。
突然、今、日本に帰国しているベルギーのチカさんのことを思い出しました。チカさんはいつもフランス語で暮らしています。チカさんに電話を入れたら今日は出かける用があるそうで、ちゃちゃカフェまで来ることはできないけど、私の今かけているスマホ電話を使ってフランスのお姉さんと会話をしてくれることになりました。
しばらく二人のフランス語の会話が続きました。チカさん、水を得た魚のようによどみなくフランス語を話し、わずかな時間に二人メールアドレス交換もしたみたいでした。
私ともう一人お店にいたフミコさんは、この様子を面白おかしく眺めていました。フランスのお姉さん(名前は知らない、チカさんが聞き出していた)は1週間は近くの新城市内でホームステイするみたいで、それからまた遠くへ行き、世界各国を回る感じでした。
ちゃちゃカフェのようなローカルな店も、最近はイギリス人、フィンランド人などが訪れるようになり、世界が小さくなってきた感じ。
2/21にテレビ放映された東栄町のお宝を探すというドデスカという番組、冒頭に、たまたま店から出てきた私とキャベ爺が捕まり、一枚の写真を見せられ、これが何だかわかりますか?と質問されました。その時の様子が映っていてびっくり。
私は首をひねっていましたが、キャベ爺がサンシンコウコウ(三信鉱工)の坑道じゃないかと言い当て、テレビ局の思うつぼになりました。東栄町のお宝は、東栄町しか取れない鉱物の絹雲母です。化粧品の高級材料になっています。
何度も東栄町に来てくれるキャベ爺は、今ではしっかり東栄町つうです。
最近インスタでお菓子を投稿するようになった平松君。実にまめにいろいろ作り、ちゃちゃカフェに持ってきてくれます。
今はサラリーマンをやっていますが、この趣味を生かしていずれパン屋かケーキ屋を開業できるようになるといいですね。
来年用の薪をたくさんもらいました。軽トラいっぱいのミカンの木です。三ケ日の井口さんが近所のミカン園からもらって運んでくれました。まさか軽トラ一杯もあるなんて井口さんもびっくり。荷下ろしはたまたま店にいたお客さんが手伝ってくれました。
ありがたい。東栄町じゃない、ちゃちゃカフェのお宝です。
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近場でおいしい魚を食べるという目的
豪華な旅館で、豪華な食事
ちょっと場違いで、ちょっとびっくりしたかな。
もう私たち年だから、無理はしない。たまにはこういうのもいいかな。
運転の上手な人にレンタカーを走らせてもらって、旅行のプランは面倒見のいい人にやってもらって、おしゃべりの得意な、輪を取り持つことの上手な人に雰囲気づくりをお任せして、レッツゴーの旅。
堂ヶ島の観光船で洞窟巡り
なまこ壁のある所。古い岩科小学校が素敵だった。
夕方、港のそばを通ったら素晴らしいサンセットが見れた。劇的な瞬間をパチリ。
2日目は旅館のそばに土肥金山があって、中を探検。
鉱山って昔、命がけで掘ったんだ。
金の展示館があって、世界でも指折りの金塊をさわらせてもらった。
これは土肥桜だって。満開。
帰りは土肥港からフェリーに乗って清水港まで。
途中で富士山の頭が見えて大騒ぎ。雲を吹き飛ばしたらきれいな富士山が見えたかも。
本物はしっかり見えなかったので、船の中の看板写真の富士山の前でパチリ。
それから清水港の魚広場で、それぞれ好きな海鮮丼を食べた。
最後に静岡の美智子さんが、地元の久能山のいちご狩りをプレゼントしてくれて、これはおまけのプラン。
みんなパクパク食べて、おなかの中がいちごジュースであふれていたみたい。めちゃめちゃ満足しました。
忙しい旅行だったけど、運転手以外はのんびりドライブが楽しめて、これでもかというくらいご馳走が食べれて、もうおなかの隙間がない、当分食べ物は要らないと言ってたけど??
おまけの話。
私が今回の旅でびっくりしたこと。
1日目のお昼ごはん、なかなか食べるところが見つからなくて、沼津のジョナサン(すかいらーく系のファミリーレストラン)
に飛び込み、まあここで何か食べましょ、と今どきのタッチパネル注文したら、しばらくして変な車が動いてきて、コーナーも器用に曲がり、テーブルの前でストップ。注文料理が棚に並べられているではないの。
注文品を取ってテーブルにのせて、ワゴン車が空になるとくるっと向きを変え、また今来た道を戻っていく。
てっぺんの注文書(勘定表)を取らないとワゴン車は動かず、ずっと待ってる。
途中ぶつかることもなく、間違いなく配達して、戻っていく、優秀なロボットさんです。いやあ、従業員が要らない。なんの会話もないけど、黙々と働く有能なロボット。
今にどの店もこういうのが働くようになるのかな。不思議な光景でした。
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うちの庭のロウバイが満開。いつも私の誕生日のころ咲いてくれます。
ロウバイ・・・蠟梅・・・私は昔、老梅という字を書くのだと思っていた。そこから老婆という文字を連想して、なぜかロウバイは老婆・・・私のことじゃない?
今年、私は後期高齢者になります。
それで運転免許の更新が面倒なことになり、認知機能検査はある、運転技能検査はある、一般講習はある、(その時視力検査もある)
で免許センターや自動車学校などに出かけ、その都度予約を取り大変でした。特に私の場合は、技能検査が(※75歳以上で一定の違反行為がある対象の方)という但し書きが付き、シビアに採点してもらい一回落っことしました。止まれマークを見落としぴゅーっと走り切ってしまったので、アウト!最も認知症と思われ救いようがありませんでした。
「あんた、落ちた?」 「あんなので落ちる人いる?」 「今まで聞いたこともない」
と、近所のおばさんにさんざんに言われました。
再試験の予約が満員で取れず、一か月後にまた自動車学校で試験を受けることになります。今度も落ちたら、何を言われるかわからないなあと暗たんとした気分です。でも2回目は優しい検査官で、受けた人全員合格。
そしてまた2週間後、運転免許所得者等教育修了という名目で、主に視力検査の(動体視力なども)講習があり、これでやっと警察の交通課へ行って免許証の発行という運びになります。
次の日行きました、設楽警察署。
すぐに免許証がもらえると思っていました。
ところが、ところが・・・
若い警察官が視力測定をし、なんだか私はよく見えず右とか左とか、上とか下とか、もごもごと口ごもっていたら、0・3もないですね、これでは免許が渡せません、出直してください、と厳しいお言葉。
(昨日の自動車学校では0・7以上で問題なかったのに)
すっきりと納得できず、1時間かかって家まで戻り、違う眼鏡を取り出してきてかけて又、設楽警察へ行き、再検査をお願いしました。でもやっぱりだめで視界はボケボケで、駄目ですねと言われました。
どうしたらいいですか?
眼科で視野が欠けていないかなど見てもらい、視力調整をしてまたきてください。
次の日は起きたら雪が降っていました。
エイ!と私は名古屋の眼科まで行くことにしました。6時に家を出て、東名高速でまっしぐら、3年前に白内障の手術を受け、私のカルテの残っているところです。
有名な眼科なので超満員です。半日がかりで診察を受け、網膜の検査をし、ほかの緑内障などの検査も受け、全く異常なしの結果でした。眼鏡をかけた視力も測ってもらったら、両眼とも1・2 運転免許に問題はないと思いますね、と言われました。
どういうことよ〜
田原のキャベ爺から別件で電話があったので、この警察のことを話してみたら、「あんた、警察官とけんかをするなよ」と牽制されました。私の気性や行動パターンを知っているので事前のおとなの忠告です。
次の日、再び(みたび)設楽警察へ。
「眼科へ行ってきました。何にも問題ありません、視力も問題ありませんでした」
警察官は無表情でそんなことは関係ないといった素振りで、視力測定に入りました。この時はとてもクリアに見え、すらすらと答えられたので1分もたたないうちに合格と言われました。
一昨日はどうして見えなかったのでしょうと、私は余分なことをつい言ってしまいました。
体調が悪かったのでしょう。とそっけない答え。
キャベ爺の言いつけを守り、そうですか、と素直そうに私は答え、新しい免許証をもらい警察署を後にしました。
今回の誕生日前の免許書き換えは苦労した〜!
又元気だったら3年後、今度は違反をせずに臨んで、もっと楽にすんなりと書き換えてほしいな。
ベルギーのチカさんが日本に帰ってきました。帰国する前に私のところにどっさりとチーズやお菓子などを送ってくれました。
ちょうど私が設楽警察でガタガタやっている日の夕方、東栄駅に到着です。
チカさんは長旅の疲れも見せず(前日に大阪で一泊)とても元気でした。5年ぶりにあったのかな。チカさんいつもフランス語や英語で暮らしているのに、日本語を忘れることもなく、マクロン政権のこと、ヨーロッパの歴史などをとうとうと喋り、いつの間にか真っ暗、慌ててチカさんの家まで送っていきました。近所の人がチカさんの家の電気をつけてくれていました。
5月まで滞在予定です。
運転免許のガタガタが終わった私もやっと余裕ができ、明日の休みは日常品の買い物をチカさんと一緒にする予定。
連日寒くて寒くて、私はお店でストーブの前でしゃがみ込むことが多くなっていました。茶の木を切ってしまったお隣の枝を全部もらって焚き付けに活用させてもらっています。べらべらとよく燃えます。
そして大きな材木を突っ込み、炎を眺めるのが日課。
毎朝1時間くらいは焚火を楽しんでいるというか、そこから離れられないでいます。
薪ストーブって本当にありがたいです。
さて2024年が始まって、突然大地震。能登の方たちは大変な状況に置かれています。
昨日ちゃちゃカフェに来てくれた三ケ日の黒田さん、またフリーマーケットをやって義援金を集めるかい?
去年の5月にやって、その時はトルコ地震が事件だったので日本赤十字社からそちらへ売り上げを送りましたが、今回の能登の地震のほうが切実で何とかしたい思いが強いです。
そうかあ、フリーマーケットかあ、
じわじわと考え出したところです。
今日仕事が終わって家に帰ったら郵便受けにバースデイカードが入っていました。音楽付きです。
さえない私の誕生日。後期高齢者入りの誕生日。
でも、みんながワイワイお店に来てくれて、私の数々の失敗を笑ってくれて、そしてなんだか励ましてくれて、「まだ店辞めるなよ〜」と言ってくれて、じわじわとみんなのやさしさが伝わってきて、ありがたいなあと思います。
そしてこれは今年来た年賀状。私は一枚も書かないのだけれど、もらうと嬉しいもので、そうだ!その通り。笑って笑って幸せになろうと思ったはがきでした。
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あたふたとして、ちゃちゃカフェの大掃除もちぎれちぎれで、ブラインドなど拭けば拭くほど汚れが浮き出し手に負えない状態。
私って掃除は好きなほうで、ちまちまやるほうだと思っていたけど、とんでもない。この頃では何事も一気にできず、要領も悪く、ま、いいか〜というお得意の気性が前面に出て、大雑把な仕上がりとなりました。
でも一応やったからね。今年の汚れは今年に取った??
室内も正月モードに。
これは2、3年前恐ろしく手間暇かけ、ちくちく縫った着物タペストリー。全部絹物、京都まで買いに行った着物地も入っています。
毎年、春ちゃんが用意してくれる干支の色紙です。
そして駅前には恒例の原さん制作の立派な門松。2024年の幸せを願っています。
25日に仕事納めをして、それから私は2度、東栄町→名古屋→岐阜と走りました。グループホームに入った上の姉が、年末年始は下の姉の餅屋(岐阜)で過ごすことになり、その送迎やら、餅屋の年末の雑踏、雰囲気がいいので、私も引かれるように遊びに行きました。
1回目の餅屋からの帰り道。
やけにでかい真ん丸のお月様が、運転している私のフロントガラスに何度も映し出されました。きれい!大きい!写真を撮りたいけど月の位置とタイミングが合いません。赤信号で止まった時に無理やり撮りました。
山の中に浮かび上がるお月様は素晴らしかったけど、運転を止めるわけにもいかず、ついに東栄駅に着いたら、そこにも満月が輝いているではありませんか。
しかし街燈のおかげでお月様はボケてしまいました。
駅舎の窓から見えるキルトもいい感じで写りました。夜もきれいです。
その夜(12月28日)は満月で、コールドムーンと言われていると、あとからスマホで見ました。
さて2回目の餅屋訪問。
餅の現場は活気があって搗かれた餅が山積みでしたが、私は外部のものなので、衛生的にも入らないほうがいいと思い、2階の姉たちのいる食堂にお邪魔しました。
餅屋食堂の写真です。
アルバイトの人たちも食べる昼食、おやつが40食くらい用意されています。
年末は餅屋のお祭りだそうです。姉も私も楽しい時間を送らせてもらいました。
心機一転。私は東栄町に帰ってきたので、今日は我が家の掃除と、買い出し、料理作り。今からちょっと真剣に立ち向かいます。
2024年、あたふたせず、ゆるーく、楽しく過ごしたいです。
転ばずに、交通事故を起こさないように、違反で捕まらないように、体も壊さず元気で・・・という私の目標。
神様どうぞかなえてくださいね。(ついに神頼み!)
皆様もよいお年をおむかえください。
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えーっ
もう12月の10日?
もうびっくりするくらい年月が進むのが早くて、このまま年末年始、来年に突入しそうです。
ちゃちゃカフェの玄関前で、そびえたつトナカイさん。
ドアを開けるたびにちょっとドキッとします。魔物か、いや守り神かな?
私のお気に入りでもあります。本当によくできている。製作者の人に敬意を表して、今日も元気でいられるように見守りをお願いしています。
みんなにいろいろもらいます。柿はもう10個くらい剝いて食べました。リンゴも冷蔵庫にいっぱい入っています。
つるや饅頭とか、播磨屋のおせんべいとか、掘りたての大根、土付きの白菜、ネギ、田原のキャベ爺のキャベツ、ブロッコリー、大根切干とか・・・
サツマイモも米袋にいっぱい入っていて、毎日ストーブで焼き芋です。
サツマイモをあげたら、いつものスイーツ王子さん、鬼饅頭に加工して持ってきてくれました。これもおいしかったです。
寒くなってきたけど、ストーブの薪もいつもいつも隣の山本さんに届けてもらって、本当にありがたいです。
本当にみんなに助けてもらっているなあ。
ちゃちゃカフェは、みんなの応援のおかげで成り立っている店ということを改めて感じます。
ありがとうございます。
感謝して、もっとまじめに働かないと・・・ と反省した12月10日でした。
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その合間に、せっせとクリスマスの飾り付けをしました。ギャラリーは鉄子ちゃんの飾ってくれた電車の写真で、臨時秘境駅号の雰囲気でいっぱいでしたが、スパッと全部外してクリスマスに模様替え。
ハロウィーンはあまりピンとこず、今年はレノルドさんが例のお化けを飾るように電話してこなかったので、それをいいことにパスしました。
クリスマスは無宗教の私ですら、子供のころからクリスマスケーキを食べ、クリスマスブーツの中のお菓子を食べ、デパートやスーパーの中でジングルベルのBGMを聞き、うきうきと買い物をしていた歴史があって、もう生活に密着している行事です。
と言っても教会に行くわけではなく、クリスマスプレゼントをもらったり、キラキラした飾りを見たり、おいしいクリスマス料理とケーキを食べるだけ。そのあとちょっとで正月準備が始まり、餅つき、お節料理作りがあり、年末の大掃除があり、墓参り、初もうでなどがあり、なんて忙しいんでしょう。日本人はクリスマスも神社、仏閣巡りもこなし、タフに年末年始を過ごします。
デーン。このトナカイさん、お花クラブの人にお借りしました。ちゃちゃカフェの入り口の前に立ってて駅を通る人からも見えるので、すごいね!とそばまで来て見入っています。すごいでしょうと、私も答えます。
目はドングリ、鼻は千日紅のドライ、ボディは、いろいろなドライフラワー、コケなどです。全部自然物でできています。角はタカサゴユリの枯れた花の枝?かな。
東栄町の住民作品展で見たときに、私もびっくりして息をのみました。素晴らしいと思います。そして東栄駅に飾っていいよと持ってきてくれた時、どこへどう置いていいのか悩みました。
何とか私流に飾ってみたので、駅についでがあったときは見てくださいね。
そしてギャラリーの白い壁(私が安直にギャラリーらしく白い布を買ってきて画鋲でとめただけの壁)には、姉のステンドグラスキルトを一面に並べてみました。
12枚のお花キルトです。クリスマスと関係がないけれど、なんとなくステンドグラス風で合わないこともないような・・・
姉は自分の作品だとわかるかな?
この前の定休日は、名古屋のグループホームに姉を迎えに行って、東栄町で3日間過ごしました。なんの混乱もなく楽しそうでした。ただトイレが東栄駅の和式トイレでは駄目になっていて、高齢者には洋式のトイレでないと…と考えさせられました。
そういえば、座れるトイレはないですか?とたくさんの人に声をかけられます。高齢化が進んだ今、トイレは全部洋式にしないといけないですね。
昔、ハワイのレノルドさんが来た時も、東栄駅のしゃがむトイレは使えなくて、車で座れるトイレを探しに走った覚えがあります。
今日の定休日は私のリフレッシュ休暇です。役場に書類を出しに行ったついでに一般道で名古屋の家まで。153号線から瀬戸のほうへ抜けました。豊田はモミジがきれいでうっとり、気持ちよく走りました。(香嵐渓が近いものね、モミジだらけです)
今晩はネットでキルトの図案を探し印刷し、今後の作品制作の計画を立てました。
早く持ち布をさばかないと、全部ごみになってしまう。あと10年、縫えるかしらね。姉のことをちらちらと考えました。
そして、私にしては珍しく早くお店の計画を考え、年末年始のビラを作りました。
と言っても2年前のビラが出てきたので日付を変え印刷しただけです。
たくさんお休みをいただきます。そして、しっかりとリフレッシュして元気いっぱい来年を迎えようと思います。
(料理本をめくって少しは凝ったおいしい料理をメニューに加えられるように頑張ります)
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そして、我が鉄子ちゃん(ペンネーム海老名すわ子)が、どこからか探し出して作ってくれた旧東栄駅=三信三輪駅のスタンプ、
鉄道愛でいっぱいで、次から次へ東栄駅の鉄道グッズが増えています。
これが鉄子ちゃんのオリジナル制作のスタンプ台紙。2つのスタンプを押してみました。
よくできているなあ、さすが鉄道マニアさん。
連日のようにカフェの隣の部屋で、スタンプを押しに来ている人の気配を感じます。鉄子ちゃん、しっかり鉄道ファンの人の心をつかんでいます。
そして自分も鉄道愛まっしぐらで、ポケットマネーでいろいろ作って、台紙だけでも1000枚印刷して8000円くらい出費して、あとスタンプインキ、いろいろな冊子など作って、お仕事の給料はほとんどそっちに行ってしまってるのでは・・・
昔、中日新聞の記者が鉄子ちゃんのことを「情熱続くよ どこまでも」という見出しで書いてくれたことがあり、本当にそうだと思います。(線路は続くよ どこまでもー♪)
さて、鉄子ちゃんはいろいろカードなどを作るのが上手なので、ちゃちゃカフェもブルーベリージャムのシールをデザインして印刷してもらったり、メニュー価額表の制作を頼んだり、ちょっと張り紙作ってよとか、鉄子ちゃんをカフェ専属のウエブデザイナーとして抱え込もうとしています。
今回メニュー価額見直しで、全メニュー一律50円値上げと決め、鉄子ちゃんに前回のメニューの元があるので、4枚作ってねとお願いしました。
しばらく、飯田線臨時秘境駅号のことで鉄子ちゃんは忙しく、メニュー改定版はお預けでしたが、土曜日に届けてくれたので、ごめんなさい。ちゃちゃカフェは値上げに踏み切りました。
諸物価高騰のためです。値上げに伴い、より良質なものを提供できるように努力します。よろしくご了承ください、お願いします。
改定したメニューです。
こちらは西村さんにもらったクレソン。異常気象で暖かい日が続いたのでこの時期でも水辺にたくさん育っていたって。
ブロッコリーを差し込んでアフロヘアみたいにして遊ぼうとした花瓶、ブロッコリーが高すぎて買えず、今回はクレソンでぼさぼさ頭にしてみました。
でも鮮度が大事なので、すぐゆでてお浸しにして食べました。クレソンって本当においしい。
ごちそうさまでした。
駅前のカエデが色づいてきています。寒くなってきて、ストーブで焼き芋を作るのが楽しみ。
サツマイモも、ストーブの薪もみんなにたくさんもらいました。
寒い日はちゃちゃカフェの焼き芋を食べに来てくださいねー。
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11月になり、うちのくちゃくちゃの庭のほうき草も真っ赤に色づきました。
よく見ると、中に寒さに震えた?昆虫がへばりついています。
駅の周りにもヨロヨロとしたカマキリが這っています。体は傷だらけ。ああ冬が来るんだなあと感じます。
さて、ちっちもブログを書かないので自分でもまずい、追い詰められた気分で少しは近況をお伝えしなくては、と思います。
出勤前の30分で、サ、サーっと写真中心で流しますね。
町民文化祭があり、作品展で「マグノリア」がクリスマスをテーマに素敵なお花作品を展開しました。
(このブルーの窓枠、冬景色がいいので、展示が終わってからちゃちゃカフェにもらいました。まもなく駅に飾りますね)
私も少し加わってる「草木染めクラブ」
そして東栄町の誇るチェーンソーアートクラブ、今年はより精巧さが増したような。
まだまだたくさん素晴らしい作品が展示されていましたが、私はちくちくクラブの出展、参加をやめてしまったし、連日の忙しさでしっかり見れませんでした。
ベルギーの千賀さんからプレゼントが届きました。
レース編みや、織物のマット。この前急にやる気になって作ったスノーマンのキルトと一緒に写真を撮ってみました。
チーズやチョコ、ドライフルーツなどヨーロッパのお菓子も一緒に届きました。千賀さんのお話はまた今度。
毎年恒例の、臨時秘境駅号が東栄駅にも10分停車してくれ、役場の人たちも出迎え、お見送りをしました。
11月は2回運行され、次回は11月19日です。
鉄子ちゃんがおもてなしのため、駅舎を鉄道写真で飾ってくれ、新たな駅スタンプも作ってくれ、4日はそれを押したい人が狭いギャラリー部屋に集まり大渋滞したので、ちょっと環境整備をしました。
林業センターの谷川さんに駅スタンプを押す台を載せる棚を作ってもらって並べました。
鉄子ちゃんの作ったスタンプ台紙も、いかにも鉄道マニアらしく持ち運びしやすいデザインで、うまくできているので今度紹介しますね。写真を撮り忘れました。
この前名古屋に行った時の道中、古戸の榊鬼と、津具村のかかし。
しっかり冬景色になってきました。
そして、今日はぐんと寒くなり、東栄町の花まつりが、小林と御園で執り行われます。
いやーあ、30分はとうに過ぎた。私は今から店に出勤して、慌てて薪ストーブをつけないと・・・
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今日、モーニングを食べに来てくれたI氏がいいことを教えてくれました。
今度の日曜日、親戚の法事があって、店を休業することになります。
いつも連絡がうまくいかず、フェイスブックもこの頃はさっぱりやらないし、一部の友達しかこの伝達もいかないし、いきなりお店に来てくれたお客さんが、張り紙を見て「なんだー、休みかあ」とがっかりすることになります。
観光協会経由でお店情報を流してもらえばいいけれど、そこまで大々的に展開しているお店ではないので、こそっと休みにしてしまおうなんて思っていました。
ちゃちゃカフェのホームページも古いOSを使っていてずっと更新できず、ただブログだけが10年以上続いているという状況。ツイッターもインスタグラムも、鉄子ちゃんが窓口を開けてくれましたが、私は積極的にやる気は起きず(本当は商売をやっていたら、インスタグラムなどは必須の武器、これを使いこなさないと遠くから人は呼べない)
わかっちゃいるけど、私はやる気が起きないなあ…というわけで、私は古い商店街のおばちゃん、いやお婆ちゃんです。
さて、でも連絡努力はしなければいけないので、この場から臨時休業のお知らせをします。
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東栄駅はキンモクセイが真っ盛りで、においにむせ返りそうになりながら仕事を終え、家に帰ってきて久しぶりにパソコンを開きました。
つい最近まで扇風機をつけたりうちわでパタパタやっていたのがウソみたい。巻き付いて枯れてきたアサガオを取り除き、みんなにもらったサツマイモや、サトイモ、大根など秋の味覚を楽しもうと思っていましたが、一気に焼き芋、おでんなど冬のメニューにひとっ飛びです。
ブルーベリーの剪定、肥料やりのご苦労さん会を兼ね、みんなで津具村の民宿に泊まりに行きました。ついでに新野でリンゴ狩りもしました。
前から一度行ってみたかった『まほろば』という農家民泊の宿は、運よく予約が取れ、期待いっぱいで出かけました。
本当に期待を裏切らないいいところ。もう私はすっかり『まほろば』のファンになりました。お料理がいい。オーナーご夫婦のひとがらがいい。周りの自然がすばらしい。地域に溶け込んだ田舎暮らしが自然体。本当に毎日の暮らしが楽しそう。
大変なこともあると思うけど、明るい笑顔が全てオッケイと物語っています。
いらっしゃいませと手作りの栗きんとんで迎えられました。
そして宿のお部屋を探索していたら、ピアノ部屋があって、グランドピアノが置いてあって、奥さんが何か歌いますか?と歌集の伴奏をしてくれました。私たち6人、にわかに混声合唱団になり、やや音外れ、かすれ声(何てったって久しぶりの発声)だったけど、
とても楽しいひと時が持てました。
そして間もなく夕ご飯。奥さんはピアノを弾いてくれて、私たちに付き合ってくれたのに、その時間ロスも感じさせず、次から次へいろいろなお料理が出てきて、それもとてもおいしいのでびっくり、大興奮でした。
おいしいし、お部屋の調度なども素敵だし、満足満足のお宿です。
翌朝はパンのいい匂いで目が覚めました。
まるでヨーロッパのような朝ごはん。焼きたてのパンに大興奮した私たちです。
宿のお父さんも配膳のお手伝い。
宿のお母さんと記念撮影。
本当に楽しかったです。また来まーすと帰ってきましたが、その後予約の電話を入れたら超満員で、年内は宿泊、ランチとも無理みたいでした。春になったら、また出かけてみたいです。
そして今度は久しぶりの山城屋。オーナーの明ちゃんに部屋の模様替えをして、壁に木を貼ったよと聞いていて、ぜひ見たかったところ、たまたま木曜に行く友達がいて、それなら私も行けると便乗しました。
明ちゃん作のドライフラワー、季節の飾り物がいい雰囲気でみんなを暖かく迎え入れてくれます。
この日はちょっと寒くなってて『とうじそば』汁物のいい匂いがします。
特別にアユを焼いてもらいました。浦川のアユはおいしくて有名です。
ごちそうさま〜。また行きますね〜
さて、それから私はひょんなことで、手芸をやる羽目になり(姉のところでもらってきた袋を染クラブの友達に見せたら、いいねえ、たくさん作ってよと言われ、軽く安請け合いしてしまい)こんなの簡単だろうとやりだしたら、結構面倒で、一週間ガタガタやる羽目になりました。
でも、おかげで手芸モードに切り替わり久々に縫物をしました。
作ったのはこんな手提げ袋5点。
調子に乗って手芸雑誌のページのように庭で撮影もしてみました。
しかし面倒だった。これはもういい。作らない。
でもちょっと勘が甦って、針を持つのが慣れてきて、昔作って縁取りが気に入らなくてしまい込んでいたキルトの手直しをしました。縁取りを焦げ茶色にしたら、全体がしまって見られるようになった。
秋本番というか冬到来というか、季節が勝手に走り出しているので、私もうまいこと巻き込まれながら日々健康に、無理せず暮らしていきたいなあ、(高齢化をいやというほど感じさせられているので) 働き方改革を少々考えているところです。
そして食材費高騰のあおりを受け、この安すぎるちゃちゃカフェメニューを、50円アップにしないとやっていけないなあと考えたり・・・あまり安いと、このコーヒーだいじょうぶ?と言われることもあり、安ければいいというものではない、不当に高いのはいけないけど適正価額というものがあるよなあと考えたり・・・
今回の決定的な打撃は、姉の餅屋の餅が20%値上げしてきたこと、考えてみれば、食材のパンも牛乳も、バターもチーズも、コーヒー豆も軽く2、30%値上げされてる。商売度外視の私は、メニューの紙を書き換えるのが面倒と、旧態依然。赤字になってもケロリとしてろくに考えないので、時代錯誤をやっているかもしれない。周りの商店(あまり東栄町は喫茶店がないけど)とのバランスも考えず、ちょっと見直しが必要だなと感じてきたところです。
この結果は次回に。
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懐かしい人たちの顔が勢ぞろいして、1カ月のブランクを忘れそう、みんな来てくれてありがとう〜。
山ぶどう姉妹ちゃんが、目の覚めるようなスカートをはいて、にこにこと登場。
わーっ、素敵!!何ていい柄なの?
今アフリカンプリントに凝ってるの。
私も欲しいなあ。
そう言ったら、ちゃちゃさんにも作ってあげると言ってくれて、その1週間後届けてくれました〜。
この前写真を撮り損ねたので、みんなに紹介できないと悔やんでいましたが、今回も違う柄のアフリカン生地のスカートを履いてきてくれたので、私用のものと一緒にパチリ。
そのあと写真家の高柳さんが来てくれたので、私も履いてファッションショーとなりました。
私ってチビだなあ。スカートも短めに作ってくれていました。
ルンルンと外に行って、また記念撮影。
やあ嬉しい、嬉しい。何か元気の出るプリント生地です。アフリカの生地ってワックス加工がしてあって、一つ一つに意味が込められているようなプリントで、派手そうだけど自然に溶け込む図柄です。
派手な変なおばさんと言われないように、スカートに負けないようにきびきびと動いて、明るくいたいなあ。
今年のグリーンカーテン、私が不在でもみんながせっせと毎日水をやってくれ、しっかり茂ってくれました。
アサガオも縦に伸びるものと思っていたら、巻き付くものがなくても、そこらじゅうで枝を伸ばし花を咲かせ元気いっぱいでした。
種から育てたバタフライピーも、たくさん花をつけ、今年はハーブティーにしている余裕がなかったので、花を摘み取りまずは冷凍しておきました。
今日ふと外を見たら、白い彼岸花と赤い彼岸花が咲いているではありませんか。今年は暑かったせいかちょっと早くお彼岸前に咲きました。
とんでもなく暑い今年だったけど、秋の気配がなんとなく漂ってきて、体もしゃっきっとしてきたかも。夏の疲れをためないように頑張ろう。
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今日も暑くて今日も晴天。
名古屋の姉の家から荷物を積んで東栄町に帰ってきました。
もうこれで最後になるといいな。
今日運んだものはたくさんの糸と、ロックミシン、アイロン台など。
ずっとちゃちゃカフェを休んでいて、大変ご迷惑をおかけしました。
ほとんど名古屋にいて、姉の介護?見守り?をやっていました。ケアマネージャーがこの緊急時だからと、毎日デイサービスやショートステイでつないでくれ、そして最短でグループホームの入所を世話してくれました。
まさか、まさか1カ月前はこんなことが起きるとは想像もしていませんでした。姉だって自分の身に起きたことがさっぱりわかっていないようです。今遠くの旅館にいる・・・とつぶやいていました。
面会に行くと、迎えに来てくれたと勘違いするので、今はあえて顔を出さないようにしています。
こんな個人の情報を、ぺらぺらとしゃべっている私も変かもしれません。
暑い暑い毎日でした。姉にクーラーのスイッチを消されないように、私はリモコンを隠し持っていました。本当に何度も何度も消されたので、暑くて怒れてカッカとしていましたから。
病気でしょうがないのだけど、姉は4、5年の間に、次から次へ物を買い、商品が家じゅうにあふれていました。よくもここまで買った!!
お店の人も毎日買いに来る姉をどうして止めてくれなかった?田舎だったら、それ昨日も買ったからもういらないよね、と声をかけてくれるけど、名古屋の町はお店が多いし、売れればいいと思っているのか、おそらくかばん屋などお店の商品を全部売った。同じようなカバンが100個以上転がっていたから。
5月もちゃちゃカフェのフリーマーケットでカバンを売ったけど、あの時持ち込んだのは氷山の一角で、今回姉の家に寝泊まりして、あちこちに押し込んであった商品を見て、倒れそうになった。
衣類も相当な数。パジャマもなんで20着もいる?下着も次から次へ出てくる。エプロンも、折りたたみ傘も・・・
特に袋物が好きみたいで、ペットボトル入れ、エコバッグ、布のカバンも山ほど・・・
何もかもが多すぎる。
とりあえず数回に分けて東栄町に運んだ。新品ばかりで捨てるわけにいかず、この処分は後で考えよう。
8月下旬、やっと東栄町に帰ってきて、3日3晩は片付けに追われ、整理に明け暮れた。洋服をたたんで季節ごとに並べるのに1日かかった。靴下、手袋などの数も半端じゃなかった。
手芸材料の種類と量も半端じゃない。これは奥の部屋に並べて、まだまだ未整理。
もともと手仕事の好きな姉は次から次へ洋服を縫ったり、バッグを作ったり、作品のレベルも高く個展が開けるくらいの力量なのに、なんでこうなっちゃった?
12枚もある花キルト、毎月季節の花のを玄関に飾っていた。だからこれを作るのに使ったぼかし布もステンドグラステープもいっぱいあった。
ちまちまとパッチワークも10年くらいやっていた。
今日運んできたロックミシンと糸は、ニットソーイングにはまっていた時、盛んに使ったもの。
ニットの洋服が100着くらいあり、どれもこれもデザインも布選びも素敵で、私も何着ももらっている。
これは私の息子の結婚式の時使わせてもらったドレス。本当に手仕事の好きな、上手な姉だったと思う。
ちゃちゃカフェのギャラリーで、姉の「着物リフォーム洋服展」をやったことがあった。わーぁ、これを売ってくださいと見に来てくれた人が頼んだけど、姉は頑として売らなかった。作るのが楽しいだけなので、その気持ちは私にもわかる。
大島のコートなど裏地もすごいのが使ってあるし、1点10万円くらい価値があると思う。あの時たくさん展示し、着物地で作ったバッグもたくさんあった。
とにかく手芸が好き。
手作りバッグは、ふたの部分がマジックテープでビリーっと外れるようになっていて、その時のお気に入りを貼り付けて使うスタイル。これもいろいろなテープやビーズ、付属品を買い求め、しばらく熱中していたと思う。
「手先を使う人はボケない」って言うけど、それって何の根拠もないってことがわかる。
姉は脳梗塞を何回もやって、血管性の認知症かもしれないけど、4、5年かけて徐々に進んできた。
たぶん、夫が病死してから、一人ぼっちになり、話し相手もいなく加速したと思う。
なんとなくモヤモヤとし、それでも何かやらなければと、手芸品売り場に日参し、キルティングの生地を買い、ファスナーを買い、小さな小袋をせっせと作るようになった。もう大きなもの、複雑なものは重荷になっていた?
コロナの前、ちゃちゃカフェにいつも小袋を持ってきてみんなに配っていた。
今思えば、あの時姉は認知症と戦っていた。そんなそぶりは見せなかったけど。
部屋の片づけをしていた時、あちこちから出てきたファスナー。
まあ、こんなに買って!と唖然としたけれど、その後引き出しの中から、ぎゅうぎゅう詰めに押し込まれた小袋、ペットボトル入れが出てきて、もう私は泣きそうになりました。
小作品が200個近く完成していた。
ボケても、姉は一生けん命生きていた。
最初に戻って、こんな個人の情報をべらべら喋っている私は変かもしれない、こんなことをブログにアップすべきではない、と何回も考えたけれど、でもちゃちゃカフェブログは、営業が目的ではなく、日々の私の日記、私を取り巻く人たちの物語という観点から、どうしても姉のことを書こうと思いました。
認知症という病気は避けられない、もちろん誰が悪いわけでもない。ほかの病気も同じ。
そんな中で一生懸命生きている人、姉の場合は戦っているという意識すらないわけだけど、それでも今までの生き様を作品を通してみてみたかった。
山のような無駄遣いの商品は、静岡の美智子さんが、母校のバザーに使ってくれることになり、この前大きなワゴン車で引き取りに来てくれました。
やっと東栄町の我が家もすっきり、やっとちゃちゃカフェのことを考え、店の準備、社会復帰に向けて動き出せるようになったところです。
暑かった休み中、いろんな人が東栄駅まで来て、植物に水をやってくれ本当にありがとうございました。大丈夫か〜と電話をくれたり、訪ねてきてくれたりし、とても励まされました。
9月、みんなに感謝しながら私も一生懸命働きます!!
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すぐ撤回のブログをアップする必要があったのに、突然インターネットに接続されませんという文字が出て、訳が分からなくなりました。
25日に待ったなしで、名古屋の姉の家に泊まり込みとなったので、息子の家にパソコンを預けて直してもらいました。
これが、慌てて店の入り口に貼ったビラ。
人生何が起こるかわからず、認知症の姉(やたら物を買い家じゅうが物であふれ、5月のフリーマーケットをやるはめに)
姉の夫は4、5年前病死し、それから姉の認知症が始まり、やたらめったら物を買うようになり、店中の商品を買い占めるように。
それでも笑ってすませていました。朗らかな、気のいい性格でみんなに配っていました。話の受け答えも絶妙で、だれも認知症とは気付きませんでした。
整理整頓ができなくなり家じゅうが何だか汚くなり、買い物が多すぎて足の踏み場がなくなってきました。
そんな中で一緒に暮らしていた息子が、突然重篤な病気になりました。7月19日にすい臓がんと宣告され、肝臓にも転移していました。緊急入院して抗がん剤を投与して、今様子を見ています。
私の姉(母)の介護のため、息子は一時的に嫁と別居して、危険がないようにずっと見守ってくれましたが、今入院でそれができなくなり、「母より先に死ねないな」とぼそっと言っています。入院した日にメールで、母をしばらく東栄町にあずかってくれないかと言ってきました。でも高齢者は住んでいる環境を変えないほうがいい、東栄町へ来たら戸惑いで、認知が一層進むかもしれない。私もたぶんつきっきりになるので、店はできなくなるし、むしろ私が名古屋の姉の家に住み着いたほうがいい、息子の病院も近いので、毎日会いたいだろうし…
息子の嫁さんのお母さんは、半年前にすい臓がんになり、それこそてんやわんや、30キロもやせてしまって、嫁さんが病院に連れて行ったり家事をやってあげたり、仕事の傍ら大奮闘です。
今回夫(私の姉の息子)の介護も加わり、その上義母の世話は不可能。私が見るべきだとは思いますがお母さんのことは助けてもらえたらうれしいです、と言われ、本当に3人の介護なんて不可能だなと思いました。
姉はデイサービスに通っていたので、ケアマネージャーと相談して、この緊急事態、デイサービスの空きのある所を全部入れてもらいました。ケアマネもたくさんの症例を見てきたけれど、今回のような切羽詰まった難しい例は初めてだと言っていました。
まだ私は数日しか姉の家に泊まってないけど、認知症と付き合うのは予想以上に大変でした。
日本列島、酷暑の今、エアコンをつけないと熱中症で倒れてしまいますが、姉は平気で長袖を着込み、冬物もお構いなしに着そうです。私が部屋のエアコンを何度つけても、すぐに消してしまい、もーっとわめきたくなります。
ちょっと前までは想像もしなかった施設入居の話も始まり、生活がある日から突然一変することを経験しました。
高齢化の進んだ今、介護の問題を抱えている人は多いだろうと思います。
今日は嫁さんに来てもらい、朝5時に家を出て、東栄町に戻ってきました。心配していた通り、ゴーヤもミニトマトも枯れそうになっていました。冷蔵庫の食材をチェックし、今から我が家にも帰り、草花にジャージャー水をやり、また名古屋に向かいます。
もうすぐ姉のショートステイが始まり、時々の面会でよくなるけれど、なんだかかわいそうで哀れで、でもみんな自分たちの生活があるし、福祉産業(金儲け主義でもある)に助けてもらわないと身動きが取れません。
連絡遅くなってごめんなさい。土、日も店を閉めているので、ごめんなさい。
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ヤマユリがいっぱい咲いてきました。
イノシシに食べられなくなって、ひそかに育っていました。
「またブログ止まってる〜」
「1週間に一度くらいだしたほうがいいね」
お客さんに声をかけられ、私もこの怠慢さに我ながらあきれている面もあるのですが、暑い暑いと文句を言いながら、怠慢が続いていました。
ブルーベリーは今年はさっぱりとれないという非常事態。お天気のせいか、私の怠慢さをブルーベリーが感じ取ってストライキを起こしたのか・・・花芽はたくさんついたのに結実せず、去年の十分の一以下の収穫になるのでは・・・
ブルーベリー狩りに行きたいという友達に、謝りの連絡を入れ、来年はもっとこまめに世話をしてブルーベリーを育てなくてはと思います。
日々の生活にも、突然異変が起き、とんでもない事件が勃発しました。スピード違反で捕まるとか、詐欺に引っかかるとか、そんな笑ってすませられることではなく、人の生死にかかわる大変なこと、自分の家族、親族にもある日突然降りかかってきます。
名古屋の姉一家を襲った病気、姉の今後の介護の問題、ある日突然やってきて、福祉のデイサービス、ショートステイ、ケアマネージャーとの相談、まさかの施設入居の話、ワーッといろいろあり、1週間名古屋に行ったり来たり・・・
そして私は自分の立場、役割を考えることになり、昨日決断、ちゃちゃカフェの働き方も変えざるを得なくなりました。
先ほど作った店に貼るビラです。
土曜、日曜は、花の水やりも含めバリバリ働くつもりなので、この時にちゃちゃカフェに来てくださいね。
とんでもなく暑い日が続いていて、熱中症で倒れないように無理せず、水分をたくさん取ってこの夏を乗り切りましょう。
自分と(⁈)みんなの健康を祈っています。
]]>ブルーベリー畑の周りの雑草を刈るためです。
田原のおっちゃんが、玩具はだめだと農機具屋で立派なのを選んでくれました。
簡単そうに見えるけど使いこなすのは大変です。
バイクと一緒。
昔ミニバイクを買いに行って、自転車のようなものと思い、その日に乗って走って、突然ブレーキの位置がわからなくなり青くなって死に物狂いで家に帰ってきて駐輪場に激突して止まりました。
シャツは破れジーパンも穴が開き、顔は血だらけ・・・
新車で買ったヤマハのジョグが前かごがつぶれ、いきなり中古になりました。
怖くて怖くてしばらく乗れませんでした。
でも早朝勤務があって、バスはその時間は通らないので、どうしてもバイクで通勤するしかありません。
悲壮感いっぱいで毎朝河川敷で練習しました。
その後車を買って身の危険は減りました。26年前のことです。
どんくさい私は一つのことを習得するのに、相当努力が要ります。
草刈機も同じで、去年も一昨年も動かしてはみたけど地面を掘ってボコボコにしていました。
親切な三ケ日の井口さんが、僕がやってあげるよと軽トラで来てものの2時間くらいできれいに刈ってくれました。
谷川さんも手伝ってくれ、ブルーベリー畑の周りはいつもきれいです。
今年も井口さんが、そんなの簡単だからやってあげるよと言ってくれました。
74歳の婆ちゃんがやれるはずがない、絶対に無理、やめたほうがいいとも言ってくれました。
でも今回はお断りすることにしました。
今年こそ自分でやらないと一生、草刈機は操れないと思ったのです。ラストチャンスです。
それからユーチューブの草刈機の動画を見て研究?しました。
そうかー、右から左に動かして、丸い刃は左上半分を使う、腰を振るようにして、歩幅は狭く etc・・・
何としてでも、何としてでも、今年は草刈機で草が刈れるようになる。
大それたことは考えず、それだけが今の目標です。
今戦っているブルーベリー畑周辺です。
刈ったところと刈らないところの判別がつかなくなり、もたもたしているうちにまた新たな草が生えてきて、エンドレスの様相を呈してきています。
今日も仕事が終わってから一部刈りました。
毎日毎日、草刈りのことばかり考えていて全く余裕のない2週間。
6月の頭はこんな手芸をやっている余裕がありました。
駅の線路わきにこんな三時草(3時ごろ花が開くので勝手にそんな名前を付けている)が咲いたと喜んでいたときもあります。
それから台風が来て、豪雨で東栄町も土砂崩れで国道が通行止めになり、川の橋が崩れて孤立する大変な家庭もあり、飯田線はガタガタで不通になったりダイヤは乱れっぱなし。あちこちの山も崩れていました。
大変な大変な6月前半でした。
水没したり、車がパーになったり、たくさんの被害で東栄町外もみんな大変でした。
私事、レベルが低くてこんなこと話すのもみっともないのだけど、国道が通れず高速道路が使えず、一般道を迂回して苦労して名古屋に行った日があり、(どうしても姉の家に行く用事があった)行きはよかったけど、次の日の帰りに来た道をぴゅーと走っていたら、153号線、足助トンネルを出たところでスピード違反で捕まった。12000円の罰金。
151号線が土砂災害で通れないから仕方なく迂回しているのに、そこで取り締まりをしているってどういうこと?
憮然として、これって土砂災害の二次災害?とブツブツ怒りながら帰ってきました。
例によって反省の色なしです。
その後、またみんなに「宮田さん、学習能力をつけてください」と言われるし・・・
そろそろまた何かやらかす頃と思われていたみたい。
今日、久しぶりに山葡萄ちゃん(いつも山ブドウの籠を持ってるおしゃれなおばちゃん)から、ブログが滞っているけど何かあった?元気?と心配してくれた電話があり、「今草刈りで余裕がないの」と答えました。
何としてでも草刈りを完了させて、ほかのことを考える余裕が欲しい。
※ おまけの写真
あの日交通止めで新城方面に行けず、迂回した津具から納庫(なぐら)へ抜けるささくれモミジ街道のトンネルと、古戸の山沿いに立っている花まつりの榊鬼さま。
「おい、しっかりしろよ」と私を見ているような気がした。
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